独裁者を反面教師に学ぶ
独ソ戦の現代的意義
「二正面作戦」を避けるために結んだ独ソ不可侵条約をなぜ破棄したのか?
「……だが、この時点でなぜソ連を倒さなければならないのかというと、イギリスとの戦争を終わらせるためなのである。では、そもそもイギリスと戦争になったのはなぜなのか。ソ連への侵攻を邪魔されないためだったのではないのか。
何のために、どの国と闘うのか、もはやどうでもよくなっている。」
独ソ戦の開始時に、すでに独裁者たちによって、戦いが戦いを呼ぶ、泥沼の戦争の論理に世界が引きずられていたことが、この文章でよくわかる。
「二正面作戦を避ける」とは、あっちとこっちの二つの戦線を同時に戦わないことだが、古来、そのために世界の王国は軍事同盟を結んできた。しかし、第1次世界大戦で、戦争の性質が、それまでの国王と国王の軍隊同士が局地的にぶつかりあうだけのものから、一般住民が大規模に巻き込まれ、国土が焼尽される全面戦争へと変貌することによって、この軍事同盟の意味が大きく変質した。中川右介氏は、さらにこう述べる。
「第1次世界大戦のきっかけは、1914年6月28日のボスニアの首都サラエヴォで起きた、オーストリア皇太子暗殺事件とされている。犯人はセルビアの民族主義者のテロリストだった。(中略)
それだけなら二国間の争いですんだ。だが、すでに国際政治は集団的安全保障という考えが強くなっている。紛争当事国だけでなく、関係のない国までも同盟関係にあるとの理由で参戦せざるをえなくなっていたのだ。そのため、ちょっとした二国間の争いが全世界を巻き込む大戦争になった。平和のための集団的安全保障が、皮肉にも大戦争の原因となる。この状況は、21世紀になった現在も同じである。」
「ヒトラーがポーランドを侵攻した時(1939年9月1日)は、誰も世界大戦になるなど予想していなかった。しかし日本のアメリカへの宣戦布告(1941年12月8日)と、それに連動してのドイツの宣戦布告(同年12月11日)にアメリカが応じたことで、誰も望んでいなかった世界大戦になってしまった。
戦争を防ぐはずの『集団安全保障』という考えが、一国による一国に対する武力行使(ドイツのポーランド侵攻)を、世界大戦にまで発展させてしまったのだ。」
2015年9月19日、安全保障関連法案が衆議院で可決され、集団的自衛権の行使への道を開いた安倍晋三首相は、かねてから「積極的平和主義」を掲げているが、「平和」のためのスローガンが、やがて当事者でさえどうすることもできない泥沼の世界大戦に行きつくかもしれないことは、20世紀の二つの大戦がすでに証明している。